Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

夢が夢でなくなった日

今年の4月頃から6月頃までは、これまで生きてきて一番真面目に就活を取り組んでおりました。学生時代はリクルートスーツを着て嘘で塗り固められた自分を装って就活をすることを心底馬鹿らしいと思っていたのですが、今はもうそんなことも言えない状況になってきたのと、これからの人生、というものを考えたとき、死ぬまでにあと何年あるだろう、自分が元気でいられるのはあと何年だろうと考えたとき。要するに、人生というものを逆算して考えるようになったときに、結婚し、子を持ち、自分なりの幸せの形を見つけて死にたいと思うようになったのです。キャリアプラン、というものなのでしょうかね。10年後、20年後に自分がどうなっているのかなどわかるはずもないのですが、それでも青写真のようなものだけでも描いて、それに向かって進もうと思い立ったのです。

 

最初は手当たり次第にどんどんと企業に応募して受けておりました。業種や条件も問わずに。というのも、僕は大卒で3年以上フリーター生活ですから、受けられるところも多いわけではなく、こんな僕でも欲しいと思っていただける企業さんならそれだけでありがたいというスタンスでいたからです。悪い言い方をすれば、自分を安売りしていたとも言えるかもしれませんね。

 

手広くやっていても上手くいかないもので、自分のやりたいことだったり向いている方向性に応募するところは自然と集中することになっていきまして。IT系の企業さんに応募することが多くなりました。口が達者ではないので営業は無理だなとか、体は大きくて元気だけどもやっぱり力仕事は嫌だなとか。やっぱりどこかに収束するものなのでしょうかね。珍しく、毎日忙しく分刻みで動いておりました。カレンダーに予定をこと細かに書いて忘れないようにしようと取り組んだのは、この時期が初めてです。

 

2~3ヶ月集中して取り組んでいたわけですが、活動初期に内定は出ていました。しかし、結局全て辞退することになったし、ある程度自分で頑張ったなと思ったところで、自分のなかで完全に「軸」が決まりましたね。それは就活でもそうだし、生きるうえでの目標としての軸でもあります。

 

軸、というのは「ゲームが好き」だということです。元からわかりきっていたことなのかもしれませんが、この思いにかなりの質量が伴ったというか、就活を通して実感として具体化されていきました。これからどうやって自分は生きていきたいか、本当に自分のやりたいことは何なのか考えたときに、やっぱり「ゲームを作りたい」という思いがなにより一番に来ましたね。

 

今は目標は完全にゲーム業界に絞っています。結局、未経験者のフリーターにとってはかなり険しい道を、しかも遠回りをして歩むことになった気がしますが、僕はその現状と現実に納得していますし、満足しています。本当に自分のやりたいことができる道だから。元来、僕は頑固で、自分の信念を曲げられない性分だったのです。他者に迎合する必要はなかった。ここで、自分のアイデンティティをやっと確立できたのです。

2位

 師走も近いということで、今年ももう終わりですね。今年1年の総括をしようと振り返ってみると、僕にとっての2022年は、間違いなく、今まで生きてきたなかで最悪の1年でした。絶対とか必ずということばを用いることは個人的に好きではないのですが、この1年は覆ることはなさそうなくらい、断トツでワーストイヤーでした。

 

 年中、悪いことがありました。僕の些細な力ではどうにもならない不幸なことが、いつも僕の周りに渦巻いていて。僕が招いた不幸も、いくつも重なって。楽しくて幸せな日々が、一日もありませんでした。何も考えていなくても、何もしていなくても思わず笑みが零れるような瞬間が、ひとときもありませんでした。僕の心はいつも冷え切っていました。内側の芯まで凝り固まった情熱は、ついに解凍されることはありませんでした。

 

 いつも、戦っていました。自分自身に対して。いつも、心身共に不健康でした。いつも、僕には何かしらが欠如していました。それを埋め合わせることに終始する生活をしていました。そんな状態なのですから、創作に集中できるはずもありません。無理に進めても、支離滅裂なものしか生み出せなかったのです。不必要なものと戦い向き合っているのですから、当然なことです。

 

 あと一ヶ月ほどしかありませんが、むしろ一ヶ月もあるととらえて、僕の図太い生命力で、なんとかあがこうと思います。少なくとも、僕のこれからの人生の進むべき道の、ほんの一端でも見つけたいです。人生のワーストレコード更新を、回避するために。

憤怒

どうも無職です。もう夏も終わりですね。まだまだ暑さは続きそうですが、あっと言う間に今年も終わりそうです。

 

未だに何の成果も出せていません。何度も同じことばかり言っておりますが、事実に変わりないですし、他に特筆すべきドラマチックなことも特にありませんので。何より、続けること、諦めないことが肝心だと考えていますので、これからも堂々と何の成果も出せていない宣言はしていきます。まあ、成果報告に勝る喜びはないのかもしれませんけど。

 

最近は特に仕事に対するマインドが特に前向きになっていまして、新たな知識を身に付けるべくインプットに力を入れています。他者の話を聞いたり、本を読んだり、映画を観たり。とにかく「ゲームを作る」という一つの方向性に、生活のリソースを全て集約するようにシフトしています。

 

だからこそ、まだ何もできていない自分にイライラしてたまらないのです。この感情は、僕のゲームに対する愛と情熱が深まれば深まるほどに増大していっています。時々、怒り叫びたくなる衝動に駆られます。いよいよ本当に頭がおかしくなりそうです。

 

それでも、そのたびに僕は「ゲーム」というものへの底知れぬ愛を実感するのです。ゲームというものを嫌いになったことは一度もありませんし、ゲームに対する執着は深まるばかりです。もはや「目標」ではなく「使命」であるとすら感じるのです。すなわち僕が深く愛するゲームを用いて他者を幸福にしなさいと。それが全て僕の妄想であったなら、僕には他の成すべき使命があるのでしょうか?

就職します。

五月病の季節ですね。皆さんはお元気でしょうか。僕は五月病にはなっていない(と、思いたい)ですが、体調は悪いです。毎日栄養不足で、脳みそが上手く働きませんし、体も思うように動かないです。お金がなく満足な食事も摂れなかったのでそのままにしていたら、体にガタが来てしまいました。ですから今は節約して、食事をできるだけ多く摂るようにしています。

 

今の生活はキツイです。これまでもずっとキツかったのですが、もう比にならないくらい、マジでキツイです。だって、本当に死にそうになってるわけですから。それは肉体的にもそうですが、精神的にもです。マジで生きてて楽しいことが全然ない。やりたいことはあるけれど、お金がなくてできない。一緒に遊ぶ友達もいない。まあこれまでもずっと孤独っちゃ孤独なわけなんですが、体を壊したときに誰も心配してくれる人もいないとなると、ガツンとくるものがあるわけです。

 

そういうギリギリの状態で生きてるわけなんですが、先日心の癒しになるイベントがあったんです。それは僕が入っていた大学の軽音サークルのライブでした。OB、OGが集まってやるライブで、僕も演者として参加しました。久々のライブで少し緊張しましたし、めちゃくちゃ練習もしました。何より、ライブはとても楽しい! おかげで、少し元気が出ました。

 

久々に「打ち上げ」というものにも参加しました。そこでは社会人としての先輩方から色んな話を聞いたのですが、それらは僕にとって大きな刺激になりましたね。転職していたり、実際に現在形で転職活動中だったり。いつのまにか大学を休学していたり、退学していたり。みんなそれぞれの道を歩んでいるんですね。そういう話を聞いていると、なんだか今の自分がとても惨めに思えてきました。

 

「お前はよくやってる」と言ってくれる人もいます。でも、今の自分に満足していない。泣きたくなるほど。僕は、よくやれていないんです、何も。何もしていない。何も行動できていないし、挑戦できていない。しがらみなどない、自由の身であるのに。帰り道、一つの道筋が見えて来たんです。

 

就職します。いや、本当に。これまでも何度かそういう試みはあったりなかったりしましたが、今回はガチです。何より、僕の心がそうしろと言っているから。僕はいつも自分のやりたい方に、直感に従って生きてきました。それがそう言っているんだから、今回はそうするべきでしょう。それに、随分遅れてしまった気がするけれど、少しはおとなしくはなったはずなので。

分水嶺

年度末ですね。この時期は新生活に向けて胸躍らせている人も多いのではないでしょうか。あるいかどこか不安を抱いたりもしているかもしれませんね。僕はどちらかと後者です。というか、希望に満ち溢れていることの方が稀のような気がします。一年のうち一日中ハッピーな気分な日は、だいたい3日くらいですかね。5日もあれば充分です。それ以外は社会に不安を抱いたり将来に絶望したり、まあそんな僕の日常です。

 

ずっとシナリオライターになるべく奮闘しているのですが、未だ結果は出ていません。漠然と、「今年の4月までにはどこか居場所を見つけよう」という目標を抱いていたのですが、それも叶わず。おかげで涙が出そうです。わりと本気で就活をしていたのですが、どこも不採用で、懲りずに心底落ち込んでおります。

 

僕は無駄な時間を過ごしているのだろうか、人生を無駄に消費しているのではないかと、どうしても不安になります。というのも、今の状況はあまりにも理想とはかけ離れすぎていて。というか、普通、とか平均っていう水準にも達していません。底辺のクズです。ずっと底を這いずり回っています。

 

それでも、自分には才能がないんじゃないか? っていう疑念は全く浮かびませんし、他の道や選択肢を進んでみたらどうかっていう気は全くないんですよね。そもそも僕はシナリオライターは才能がなくてもできる職業だと思ってますし。そのなかでも才能がどうしても必要になってくる領域を求めているから厳しいのかなと感じています。たまたま運が悪かったのでしょうか。といっても、悪すぎる気もしますが。というわけで、これからも僕は頑張り続けていきます。

実績と学歴(後編)

正直、僕は学歴というものにはまるで興味がありません。ですから、流されるままに生きてきましたし、その結果大学を出ました。両親は進学には強く反対し続けていました。何か手に職を付けるべきだと、体が大きくて力が強いのだからその長所を活かしてはどうかと。でも、幸運にも僕の希望する通りに学費を出してくれました。そうしているうちにいつの間にか無職です。忠告を聞き入れるべきだったのでしょうか? 深い感謝と申し訳ない気持ちが、いつまでも同居しています。

 

学生のときには気づきませんでした、自分がいかに恵まれているということが。寧ろ、僕はなんて不幸なんだと思っていました。今となっては、傲慢、とはいかないまでも、贅沢な悩みだと感じています。周りには、進学したくても思い通りにはいかない人たちがたくさんいます。大いなる志を抱いていながら、果たすことのできない若い情熱が。僕は、努力することもなしに生きてきたのです。これは恥ずべきことです。それは運だとか星の定めだとかいった尺度ではなくて、誇りの問題です。

 

僕にとって学歴とは何の意味もありません。飾りにもなりえません。むしろ自分を縛り付ける鎖のように感じることもあります。まあ、それはあまりにも言い過ぎかもしれませんが。ある程度の頭の良さ、というのを測る指標にはなるかもしれませんね。とはいっても、そんなものでわかる頭の良さなどというものは、たかが知れているとは思いますが。とにかく、僕は学歴というものは全く気にしないわけです。

 

本題に入るまでが長くなりすぎてしまいました。シナリオライターの募集要項に学歴について書かれていることがあります。「学歴不問」はわかります。「専門・短大以上」や「大卒以上」についてはよくわかりません。いったいシナリオライターに何を求めているのでしょうか? 大卒の僕が無理矢理考えてみることにします。

 

まともなキャンパスライフらしいものを送っていない僕ですが、それでも「剽窃はしてはいけない」ということは口酸っぱく教えられましたので、何とか忘れず教えとして覚えています。剽窃というのは、わかりやすくいえば「パクリ」や「コピペ」といったことです。引用元や参考元を明記せず、あたかも自分の著作物のように発表することです。

 

これは非常に卑劣な行為です。例えば学問の領域では、多くの人たちが何千年何万年と積み重ねてきた努力を無視し、踏みにじり、盗むことに他ならないわけですから。学問のみならず、創作の分野でも同様です。オリジナルのものを生み出すには、相当の努力を必要とするはずです。そして、多くの他者によって作られた作品を見て、感じて、参考にし、自らのなかに吸収する営みが欠かせません。

 

大学というところでは「オリジナリティ」が重要視されていたと感じます。自分とは何者か、自分にしかできないことは何かを見つめるのです。ですから、他人が汗水流して作ったものを丸々パクったりするようなことは、「基本的に」ありえないことなわけです。まあ、たまにそういう意識が希薄な人がいることも、残念ながら事実です。

 

とはいっても、小中学校の道徳の授業でも「人のものを盗んではいけない」ということは必ず習うとは思いますが。「大卒以上」というのは、そういう意識の、程度の問題でしょうか? それにしても、限定する強い理由にはならないと思います。著作権知的財産権といったものに非常に厳しいということなのでしょうかね?

実績と学歴(前編)

どうも、大卒の無職です。現在シナリオライターになるべく奮闘しているところですが、そのうえでどうにも引っかかる要素について、僕の考えを語ります。

 

シナリオライターの募集要項について見ると、「経験者のみ」だったり、「○○年以上の実務経験」という文言を見かけることが多いです。つまり、僕みたいな新参者は門前払いなわけですね。まあ、その企業が求める人物像に僕は当てはまらないなら仕方ないなとなるわけですが、その数があまりにも多いのでどうにもうんざりするわけです。

 

シナリオライターは人手不足」という言説を聞くことが多いのですが、それは企業が勝手に門戸を極端に狭めているからでは? と思うわけです。つまり、企業が求めているのは「経験のあるライター」であり、はっきり言ってしまえば「都合のいい人材」というわけです。ですから「実績」という、目に見える形で経験を可視化する装置が必要とされるのですね。そういった企業では、やる気のある新人を育てようという気はさらさらないようです。

 

では、そういった企業の態度は怠慢なのか? というと、僕としては「そんなの知らねえ」というスタンスです。どういう業態に関わらず、都合のいい(割のいい)人材が欲しいのは当然のことです。資本主義の社会では、都合がよく、コスパが高い人材をこき使うことが最も利潤を産みだす方法なわけですから。そうして業界が人手不足になっていることも、まだ業界内に入っていないし、内部の事情も良く知らない僕にはあまり関係のないことです。

 

志は常に高く持ちたいものです。エンターテインメントの創作者としては、単なる商品として消費される以上のものを残さねばならないという使命を背負っていると常々僕は考えています。そのような場合は効率という観点は最重要視されるものではないはずです。ですから「経験者のみ」だったり、いわゆる学歴フィルターを設けているようなところは、こちらからお断りさせていただきます、というスタンスです。よくある「方向性の違い」ってやつですね。ただ、その溝は深いような気がします。