Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

このブログについて

 今回新しくブログを開設することにしました。このブログでは「日々考えていること、思いついたこと」をこれから発信していくつもりです。内容としては美少女ゲームに関することが中心になるかと思います。なので少し性的な表現が含まれるかもしれません。その点注意が必要かもしれませんが、最大限の配慮はするつもりでおります。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 これだけならSNSなどほかの媒体でも発信できるかもしれません。実際、今年(2020年)の3月くらいに、美少女ゲームについて話し合いたいと思い、Twitterのアカウントを作りました。世界的な感染症の流行で家にいる時間が多くなったことでこれからヒマな時間が増えるだろうなと思ったのと、これまではネット上の付き合いというものをなんとなく敬遠していたけれど、一度も経験しないというのもなんだかなあと思って、学生のうちにやりたいことはやってみるかと思ったのがきっかけです。

 

 Twitter上では色んなひとたちの発信する情報を目にしてきました。これまで僕はTwitterというものを「いわゆる『アニメアイコン』のようなひとたちが誹謗中傷を繰り返したり特定の政治思想を喧伝しているような無秩序な場所であり、時間の無駄か、暇潰しにしかならない」と考えていましたが、必ずしもそうではありませんでした。好きなことについて語り合ったりするひとたちを見たり、ときにはそれに参加したりして、自分も元気を貰いました。実際にはヒマな時間が増えるわけでもなく、7月中旬くらいまでは忙しい日々が続いていたのですが、それを乗り越えられたのもTwitterというものの存在があったのかなと思っております。

 

 ただ、情報を受け取るよりも、情報を発信していく方に重きを置きたいと思うようになりました。それには、Twitterというメディアは最適ではなかったのです。Twitterにはひとつの投稿あたり「140文字」という上限があります。僕はこれを「制約」ととらえるようになっていきました。限られた文字数のなかで優れた情報を発信するのはTwitterの醍醐味ではありますが、それにはどうしても限界があります。SNSというのはその性質上、情報の新しさが重視されます。上書き保存のようなものといえばよいでしょうか、古い情報はどうしても埋もれていってしまいます。そしてフレッシュなものを届けるには、文字数はなるべく少なく、最小限でひとの目を惹きつけるようなものが最適であり、そのような方向に発信する情報はどうしてもシフトしてしまいます。僕は寧ろ、文字数はいくら多くなったとしても構わないから、ただ見たひとの心に残る情報を発信したいと考えるようになったのです。

 

 だからこそこのブログを立ち上げるに至りました。これまでには語りきれなかった思いを、最後の一滴まで搾り出していく、そんな場にしたいと考えています。そしてその思いの欠片たちを残していきたい。たったひとかけらでもいいから、見たひとの心に一瞬でも残ったのなら、これ以上の幸せはありません。

 

 

 最後にブログのタイトルについて。「Epitaph」とは日本語訳で「墓碑銘」です。なんだか鬱屈としたような印象を受けるかもしれませんが、これはむしろ、前向きで、希望に満ちています。これは、ここにこれから書く文章の一つ一つは自分が死んだあとの墓に刻んでも差し支えないものである、という決意です。「死」を忘れずに、しかし同時に「生」の喜びに満ち溢れたことばを、これから紡いでいけたらと思っています。