Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

美少女ゲームとの邂逅とシナリオライターへの憧憬

 今回は簡単な自己紹介です。ただ、身長体重とか、好きな食べ物とか、ありふれたことは誰も興味がないと思うので、美少女ゲームに関連することを話そうと思います。

 

 幼い頃からゲームが大好きでした。父の知り合いにゲーム会社に勤めていたひとがいたこともあって、家には貰ったファミコンのソフトが大量にあって、よく遊んでいました。当時にしてはファミコンもかなり古いハードとなっていたのですが、そんなのお構いなしという感じで、僕の少年時代は常にゲームと共にありました。

 

 中学、高校と進学するにつれても、ゲームへの愛情は止むことはありませんでした。そんななかでも、いくつかのゲームには衝撃を受けました。そのなかで三つ挙げるとするならば、『Demon`s Souls』、『Metal Gear Solid 4』、『TESⅣ:Oblivion』で、なかでも『Demon`s Souls』は抜きんでていました。これまでのゲームにはなかった難易度とオリジナリティーあふれるオンラインシステム。「こんな面白いものがあるのか」と思いました。これはある種の感動でした。そして同時に「だれかを感動させることがしたい」と思うようになりました。ただ、その具体的な方策については特に何も決まりませんでした。

 

 大学にはなんとなくの野望のようなものを抱いて進学しましたが、挑戦と挫折の連続でした。これまで僕は「やればできる」ような人間だと思っていました。しかし、それは狭い世界しか見たことのない人間の妄想でしかなかったのです。大学というところは全国から、また世界各地からいろんな、個性豊かなひとたちが集まってくるところです。そこで僕は弾け飛ぶような個性と才能にあふれたひとたちを目の当たりにし、それまでの考えは幻想に過ぎなかったのだと気付いたのです。実際の僕はなんの才能も、個性もなかったのです。なにも考えず、なんとなく生きてきただけだったのです。「なにもできない」人間だと知った僕は、1年目は2か月ほどしか大学に通いませんでした。なにかをする意味や生きる意味について、なんの理由も見いだせなかったからです。

 

 こんな僕でも大学を卒業できた(実際は、今のところ卒業見込みなのですが)のは、2年目から軽音サークルに入ったからです。僕はギターとベース、ときどきコーラスを担当していたのですが、「どんな曲でもそれなりにできる人」という地位を得て、いろんなバンドに参加しました。悪くいえば便利屋、なのかもしれませんが、僕がサポートに入ればどんなバンドでもそれなりの形になるという信頼を得ていました。また曲を覚えるのもとても速かったので、ベースを担当しているバンドでギターや他の楽器の技術指導をしたり、難しい曲をなんとか弾けるように編曲をしたりしていました。そこでなんとかいきがいを得た僕は、学業を続けることができ、たいへんな落ちこぼれながら、卒業まで漕ぎつけることができました。またこのサークルでは、重要な友人たちと巡り合うことになりました。

 

 サークルの同期からは、「文章を書く仕事が向いているんじゃないか」と勧められました。彼女は抜け殻のようだった当時の僕を救ってくれた恩人であり、大切な仲間の一人です。彼女を始めサークルの仲間たちと語り合ううち、僕の音楽への愛は並大抵のものではないと客観的にわかったのです。それはいろんなバンドを知っているとか曲を知っているといったオタク的なものではなく、心から音を楽しむことへの愛が尋常ではなかったのです。それと同時にそういった愛や好きなことを伝えることに情熱を注いでいました。彼女はそれを見て言ったのでしょうか、僕はそんな仕事に就こうなどとは考えたことがなかったので、新たな視座を得ることができたように思えたのです。

 

 先輩からは、始めて美少女ゲームというものに触れる機会をいただきました。サークルにはアニメやゲームに詳しいひとも多くいて、そのうちのある先輩に『サクラノ詩』というゲームを薦められました。僕はそれまでやってきたゲームはアクションが中心で、ノベルゲームというものは知ってはいましたが、プレイしようと思ったことはありませんでした。理由は単純で、僕はRPGなどは苦手で、本を読むのも嫌いで、アクションしかできない馬鹿だと思っていたからです。どうせ途中で飽きて止めるだろうなと思っていました。でも、折角薦められたのだからやってみようということで、『White Album2』をプレイすることにしたのです。「違うゲームじゃねえか!」と思われるかもしれませんが、僕はその先輩のことが当時はあまり好きではなかったのと、天邪鬼な性格ゆえにオススメされたものとは違うものをやろうと考えたからです。実際にプレイしてみると大きな衝撃を受けました。まず、時間があっという間に過ぎていたのです。時間を忘れて、ということばはよく使われますが、実際にそんなことはないと思っていました。しかし、寝る時間すらも惜しくて、一日中プレイしていました。そして、クリアした後はその余韻から、一週間以上はまともに生活すら送ることができませんでした。こんな体験は他のどんなメディアでもこれまで体験したことがなかったのです。そこで僕は少年時代のクリエイティブなことをしたいという衝動を思い出すに至ったのです。それと同時に、美少女ゲームに対する、ある種の憧憬のようなものを抱くようになったのです。それからは、さまざまな美少女ゲームをプレイしては、その感想や自分の考える理想の美少女ゲームなどについて、仲間たちと語り合うようになりました。

 

 そんな風に過ごしていたある日、同期の1人から「シナリオライターに向いているのではないか」、「お前が作ったゲームをプレイしてみたい」と言われました。僕はそのとき、シナリオライターになることについて真剣に考えはじめました。というのも、彼は中国出身で、日本のカルチャーに憧れて訪れてきた留学生で、ネイティブと遜色ない、いや、もはやネイティブではないとはわからないほど流暢に日本語を操っていました。周りにはまるで見せませんでしたが、その苦労は並大抵のことではなかったはずです。それからは、そんな多様なバックグラウンドを持っている彼を関心させるほどの言語能力や発想力を、自分は持っているのかもしれないと思うようになりました。その後、似たようなことを多くの友人たちから言われるようになったのも、その思いを強める要因になりました。

 

 以上のようなさまざまな思いを抱いて大学を卒業、そしてフリーターに至る、という感じです。今回は美少女ゲームを中心に話しましたが、その他にもいろいろ趣味はありまして、特に音楽が好きです。好きな音楽とか、音楽にまつわる話は、また別の機会にしようと思います。ここまで読んでくれて、ありがとうございます。