Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

素顔を見せて

 先日大学の卒業式がありまして、正式に大学を卒業しました。特に就職先も決まっていないのでこれからはフリーターとして過ごすことになります。希望が1割、残りは不安といったところですが、まあこれからも楽しく生きていきたいと思っています。夢というか目標のようなものもあるのでそれに向かって頑張っていきたいとも思います。「頑張る」ということばは安易には使いたくないのですが、これは本心から思っていることです。思っているだけではないのです。頑張ります。断言します。

 

 卒業式はこのご時世ですから別に無理に行かなくても良かったのですが、出席しました。教職員の方々から卒業生に向けてのメッセージを聴いたり、学位記なんかを受け取ったりしました。友達もいなければ知り合いもいなかったので、終わったらすぐに帰りました。式の間は特になにも感慨に耽ったり考えるようなことはありませんでした。もちろん涙を流すようなこともなかったです。ただ朝早かったので、夜型の僕にとってはとても眠かったです。とにかく眠かった。

 

 その日の夜は貰った学位記や成績なんかを読み返しておりました。酷い成績です。酷すぎてここに載せることも憚られるくらいです、それぐらい酷い成績でした。色々読んでいるうちに卒業したという実感が湧いてきました。同時に日中にはなかったさまざまな感情の波が押し寄せてきました。翌日のバイトはサボりました。社会人(といってもフリーターですが)一日目の大事な日に。理由は「心身の疲労とそれによる体調不良」ということにしておきました。あながち全くの嘘ということではありませんから、サボった、というほどのことではないのかもしれません。

 

 大粒の涙を流しました。理由は色々あったでしょうが、一つは卒業したということを素直に喜べない自分のみじめさに。もう一つは素直な本性をさらけ出すことができない自分の未熟さ、未だに大人になりきれない幼さに。悔しくてたまりませんでした。こんな年になってまだ自立して生活できないなんて。本当の自分はこうなのに、それをうまく表現できていない。そういったもどかしさは今も抱えています。

 

 「自分はこういう人間で、こういうことができるんだ!」と声高に主張するようなことは、奥ゆかしさもなく、恥ずべきことだと思っていましたが、必ずしもそうではないと感じています。むしろ、自分を魅せるということは、これからもっと必要になるのではないかと思います。そんなときに、自分の持つ「ことば」という、この愛すべき力を用いて、立ち向かっていこうと思うのです。やってやりますよ。