Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

狂気愛

※一部に過激な表現が含まれています。閲覧の際にはご注意ください。

 

 「狂気」というものを構築するのは特別難しいことのように思えます。人間はあらゆることを想像する力を持っていますし、それこそ他の生物との境界としては大きいものかなと思います。でなければ「宇宙海賊」なんてものは生み出せません。「宇宙海賊」とはなんなのでしょうか?宇宙に海なんてありませんし、盗むものもありません。「銀河鉄道」とはなんでしょうか?銀河にまっすぐな鉄道が敷けるわけがありません。それでも、車窓から眺める星々の煌めきを、実際に目で見たことのように心で感じ取ることができます。この想像力というものは、まるで無限に存在することのように思えてきます。

 

 心理学、特に精神分析についての研究の最初期には、いわゆるドラッグが用いられていました。ドラッグが法によって取り締まられるようになったのは案外最近のことで、「ドラッグは有害で危険なものだ」という価値観は、現代になってから醸成されたものなのです。ドラッグは20世紀のアートにも密接に結びつき、そのトリップ作用から多数の名作が生み出されると同時に、多くの偉大な才能が死によって失われていったのも事実です。このあたりの話については語りだすと止まらないので、ここらへんで留めておきます。

 

 私はドラッグによって狂気に囚われた(あるいは、俗世から解放された)ひとを観察するのがとても好きです。「狂気」というものを説明するのは、「美」や「幸福」などとならんでとても難しいことのように思えます。ただ狂人というのは、その語りえない概念を具現化して私たちに見せてくれているのです。自らの身体を以て表現するその姿勢に、感謝すら覚えます。おかげで、狂気について想像する力の一端を手にすることができるのです。

 

 「お前は頭がおかしい」と他人に言われたことがあります。自分を狂人だと疑ったこともあります。しかしそんな自分を何よりも愛するのは自分自身に他なりません。この狂気、というものが身近なものに感じてなりません。それと同時に、狂気を携えた存在というものは生物という枠組みを越えた、一種の高次の存在ではないかとも感じるのも事実です。それは憧れのようなものに近いのかもしれません。決して他人事ではない、表裏一体の狂うか狂わないかの瀬戸際に追い詰められた生き方を、愛さずにはいられないのです。いつか自分が狂人になる日が楽しみで仕方ありません。