Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

実績と学歴(後編)

正直、僕は学歴というものにはまるで興味がありません。ですから、流されるままに生きてきましたし、その結果大学を出ました。両親は進学には強く反対し続けていました。何か手に職を付けるべきだと、体が大きくて力が強いのだからその長所を活かしてはどうかと。でも、幸運にも僕の希望する通りに学費を出してくれました。そうしているうちにいつの間にか無職です。忠告を聞き入れるべきだったのでしょうか? 深い感謝と申し訳ない気持ちが、いつまでも同居しています。

 

学生のときには気づきませんでした、自分がいかに恵まれているということが。寧ろ、僕はなんて不幸なんだと思っていました。今となっては、傲慢、とはいかないまでも、贅沢な悩みだと感じています。周りには、進学したくても思い通りにはいかない人たちがたくさんいます。大いなる志を抱いていながら、果たすことのできない若い情熱が。僕は、努力することもなしに生きてきたのです。これは恥ずべきことです。それは運だとか星の定めだとかいった尺度ではなくて、誇りの問題です。

 

僕にとって学歴とは何の意味もありません。飾りにもなりえません。むしろ自分を縛り付ける鎖のように感じることもあります。まあ、それはあまりにも言い過ぎかもしれませんが。ある程度の頭の良さ、というのを測る指標にはなるかもしれませんね。とはいっても、そんなものでわかる頭の良さなどというものは、たかが知れているとは思いますが。とにかく、僕は学歴というものは全く気にしないわけです。

 

本題に入るまでが長くなりすぎてしまいました。シナリオライターの募集要項に学歴について書かれていることがあります。「学歴不問」はわかります。「専門・短大以上」や「大卒以上」についてはよくわかりません。いったいシナリオライターに何を求めているのでしょうか? 大卒の僕が無理矢理考えてみることにします。

 

まともなキャンパスライフらしいものを送っていない僕ですが、それでも「剽窃はしてはいけない」ということは口酸っぱく教えられましたので、何とか忘れず教えとして覚えています。剽窃というのは、わかりやすくいえば「パクリ」や「コピペ」といったことです。引用元や参考元を明記せず、あたかも自分の著作物のように発表することです。

 

これは非常に卑劣な行為です。例えば学問の領域では、多くの人たちが何千年何万年と積み重ねてきた努力を無視し、踏みにじり、盗むことに他ならないわけですから。学問のみならず、創作の分野でも同様です。オリジナルのものを生み出すには、相当の努力を必要とするはずです。そして、多くの他者によって作られた作品を見て、感じて、参考にし、自らのなかに吸収する営みが欠かせません。

 

大学というところでは「オリジナリティ」が重要視されていたと感じます。自分とは何者か、自分にしかできないことは何かを見つめるのです。ですから、他人が汗水流して作ったものを丸々パクったりするようなことは、「基本的に」ありえないことなわけです。まあ、たまにそういう意識が希薄な人がいることも、残念ながら事実です。

 

とはいっても、小中学校の道徳の授業でも「人のものを盗んではいけない」ということは必ず習うとは思いますが。「大卒以上」というのは、そういう意識の、程度の問題でしょうか? それにしても、限定する強い理由にはならないと思います。著作権知的財産権といったものに非常に厳しいということなのでしょうかね?