Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

殺!一周年/ボツ案ども

去年のこれくらいの時期に大学を卒業して創作活動を始めたので、およそ一周年ということになります。まあ、特に何にもめでたいことはないですし、実際何の成果も挙げてませんけどね。一年やって芽が出ないのはどうなんだって気もするわけですが、同時にそもそも大学を出てから始めるのは遅すぎるだろ、って気もするわけです。

 

転職サイトに登録してみたり、就職情報をときどき見たりしているのですが、そこで思うのが「みんな早いうちから色々考えてるんだなあ」っていうことです。「今大学三年生で○○という職業になろうとしているのですが~」とか、「○○になるために○○の勉強を始めた方がよいのか~」とか。真面目に将来の目標に向かって考えているんですよね。そこで僕はどうだったかなあと思い返すと、将来への目標とか希望といったものは全くなかったですね。その日その日を生きたいように生きてました。絶望感はなかったですけど、「まあ何とかなるやろ」っていう軽いノリで。まあ、何とかならなかったわけなんですけど。

 

「就活」なるものをすれば、自然とどこかに就職し、なるようになるものと思っていました。が、そんなことは全くなかったですね。あっと言う間に無職です。在学中、親が「学歴だけ身に付けても、却って足枷になるかもしれないぞ」という趣旨のことを言っていて、当時はまるで意味がわかりませんでしたが、今なら少しわかる気がします。まあ、当時の僕はこの社会というシステムに反抗している気概があったのかもしれません。

 

何とかならなかったのでやっと重い腰を上げて始動しております。とりあえず、何とか生存はできているので、次はある程度安定した収入を手に入れたいところです。というのも、将来結婚ということをしてみたいし、子供というものも授かってみたいからです。もうすでにちょっと厳しい気もしていますが、何もできずに死んでいくのも嫌なので、自分のペースで頑張っています。

 

なんだか本題に入るまでにまとまりのないことをつらつらと書き連ねてしまいました。話は変わりまして、今回はこの一年間で考えていたこと、考えたがまとまらなかったもの、要するに「ボツ案」をまとめて、供養しようという回です。「こんなこと考えてました」っていう感じにとらえてもらえればと思います。

 

僕は最初からゲームシナリオを書こうと決めていました。書く媒体だと小説とか他にいろいろあると思いますが、そのなかからシナリオに絞った理由は単純で「普段本とか読まないから」です。あと、「書くこと自体に興味があるわけではないから」というのもあります。というわけでストーリーを考え始めたのですが、最初は「死」をテーマにしよう、と考えました。そして考えを深めるうち、余多ある「死」のなかでも「自殺」に焦点を当てたいと思うようになりました。何故なら、自殺とは必然的なものであったからです。

 

この世に必然的なものなどありません。科学的な視点では、常に100%ということはありえないわけです。ということで、今の僕の健康も、100%保証されたものではないのです。1秒後には心臓麻痺を起こして死ぬかもしれないし、空から降ってきた大量のカニに押しつぶされて死ぬかもしれない。究極的にいえば、すべては偶然の産物なのかもしれません。

 

「死」も物語のなかでは偶然襲ってきます。交通事故に遭って死亡した悲劇のヒロイン。不治の病によって余命いくばくもない不幸な少女。ただ僕はこれらの「死」は、あまり好きではなかったのです。つまらない考えかもしれませんが、交通事故に遭う可能性はこの日本という国に住んでいたならかなり低いし、不治の病というのも医療の進歩によって、幸運にもその多くが治療可能になっています。あまりにも偶然的なことすぎて、僕の身近には感じなかったのです。このように感じる際の解決策として、「物語の初めから設定されていることにする」という方法があるかと思います。つまり偶然性の高いことが最初からあって、そこから物語を発展させる、ということにすれば、この偶然ありきで物語はあるので、物語の中盤で交通事故が起こるよりかはいくらかは違和感はなくなるかと思います。ただ僕は、たとえフィクションであっても、最初に書く作品としてはどうしても身近に感じたかったのです。これはあくまで意地に過ぎないのですけれど。

 

僕は「自殺」とは偶然に起こり得るものではなく、理由があって、深い絶望と信念を持ってもたらされる結果、行為であると信じたいし、またそのことをメッセージとして伝えたかったのです。これはあくまで願望にしかすぎませんが、この願望を説得力のある(と、思わせられる)形で物語を紡ぐべきだと考えているのです。しかし、それは叶いませんでした。

 

なぜ人は自ら命を絶つのか。その理由を論理的な説得力を以て構築することが、僕にはどうしても出来なかったのです。困難や絶望を抱え、そこから自死という行為に結実するまでの人物像の創造は、未熟な自分にはどうしても出来なかった。9月から11月頃まで考えた末、結局ボツになり、全く違うテーマで最初の作品を書きました。11月中旬~1月中旬頃に執筆し、完成させました。

 

2月~5月頃は大きく迷走しておりました。この頃は「狂気」をテーマにした作品を書きたい、と考えておりました。というのも、最初に書いたものはなんとか完結させられたものの出来に満足しておらず、「次は、本当に書きたいものを満足がいくまで自由に書こう」と決めたからです。しかし、これも結局構想段階で止まってしまいました。また難しすぎることを設定してしまったようです。

 

「狂気」を扱った作品自体は無数に存在しますが、僕が目指したものは主に「ゲームシナリオ然とした狂気的表現の脱却」です。色々なゲームのシナリオを見てきましたが、狂気を表す表現はある程度固定化されているなあと感じており、この一種のマンネリ化を解放して、日常的なごくありふれた文章から狂気を感じるようなものにしようと考えたのです。例を出しましょう。ゲームシナリオ的な狂気の表現として、

 

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺

 

という風に、メッセージウインドウいっぱいに同じことばを連続させる、というものがあります。僕は、正直このような表現には飽き飽きしていました。「そうはならんやろ」と。「死ぬほど憎んでても、そんなには連呼しないやろ」と思っていました。というのも、一般的には「狂っている」とされる犯罪者(特に、シリアルキラー)の映像や資料を見て、このような表現への乖離を感じずにはいられなかったからです。

 

シリアルキラーが行う大量の殺人には、彼らなりの理屈の通った理由があるのです、たとえそれが一般には到底受け入れられないものであったとしても。そして、それを話す彼らの口調は、多くは高圧的で怒鳴っているようなものではなく、むしろ穏やかで淡々としています。もしかしたら、シリアルキラーになる素質を持った人間は、身近にいるかもしれないし、もしかしたら僕自身が狂人なのかもしれません。このような「穏やかな狂気」をゲームシナリオ上で表現しようとしていたのです。

 

しかし、これも結局うまくいきませんでした。色んな設定が浮かんでは消えていきました。そのなかでも一番おかしなのは「主人公(狂人)を高次元の住人と思い込んでいる存在にする」というものです。これは自分でも何をいっているのか意味がわからないのですが、主人公は高次の存在ですから3次元上の私たちの存在を認識できるのですが、対して3次元上の私たちは主人公を認識できません(と、主人公は思い込んでいます)。そして私たちから見た主人公は、高次の言語を用いているので何を言っているのかさっぱりわかりません。この主人公と3次元の人間たちの乖離を描こうという案があったのですが、様々な不具合や矛盾があり、結局断念することにしました。

 

最近もまた新しいものに取り組んでいまして、そろそろ1年経つし、おまけにいい歳だしここらでプロになる決定的な一発を作ろうとしていますが、もう2か月くらいずっと構想段階で悩んでおります。しょうもないものだと、「ステロイドの副作用と周囲からのプレッシャーで若くして亡くなったボディービルダーの話」なんかがありまして、結構深くまで練りましたが結局ボツになりました。今は全然それとは毛色の違うものを考えています。果たして今年中にできるだろうか。