Epitaph

日々の徒然なることばが、生を形作る。

祝!無職!

 先日大学の卒業が正式に決まりまして、来月からは「学生」という肩書きは外れ、社会人(無職)となります。自分としての評価はよくわかりませんが、一般的には「かなり良い」といわれている大学(バイト先の前の店長は新しい人が入ってくるたびに僕の在学中の大学を言いふらし、そのたびに「すごいですね」とか「頭が良いんですね」と言われました。学歴といったものに興味がなく、大学で頭の良さや人間の魅力は決まらないと思っていた僕は、少し嫌な気持ちになったのです)を出て就職しないというのは本末転倒な気もしますが、とにかく今は安堵と、「やり切ったんだ」という、素直なうれしさで満ちています。

 

 こんな時期に大学を卒業するというのはあまりないことだと思います。3月に卒業して、4月から新生活、というのが日本では一般的な学生(生徒)の歩みだと思いますが、ではなぜ僕はイレギュラーな時期に卒業するのかというと、端的に言って、去年精神を病んで、大学を留年したからです。簡潔に説明するのは難しいのですが、就職活動が上手くいかないこと、やりたくない仕事(業種)をしなければならないことに意味を見出せなかったこと、生活環境が些細ながら変化したこと、以前から抱えていた漠然とした将来への不安といった様々な要因から、6月頃から抑うつ感を持つようになり、9月頃にはその増幅により、日常生活を送るのも困難になっていったのです。そんな状態ですから、当然学業をまともに行うのも困難になり、治療に専念し、来年の春学期の卒業を目指すことになりました。

 

 (これは本筋とは外れる話になるのですが、人間の精神というものはたいへんに脆く、誰だっていつでも不調を来たす可能性があるのだということを知って欲しいと思います。その原因は就職、結婚、出産、怪我など、あちこちに存在するからです。ほんの小さなことでも、引き金になる可能性があります。それは本当に小さなことで、例えば道端の石に躓いたりするような次元のものでもありえるのです。関係ないと思っていたことでも。そしてもし少しでも精神の不調を感じるのならば、医師の診察を受けることをおすすめします。自分が病気であるかを決めるのは自分ではなく、専門家である医師の判断です。自分が頑張りすぎているだけかもしれません。自分たち素人が病気を判断するのは、たいへん危険なことだと思います。)

 

 今年の4月の時点では小康状態といった感じで、まだ万全ではなかったのですが、治療を続けながらも学業に取り組み、なんとか卒業まで漕ぎつけることができました。治療も順調で、今は以前の自分とほとんど変わらない状態だと感じています。うれしさというのは、このあたりの今までの苦心から来ているのかな、と感じています。

 

 卒業式は昨今の事情を鑑み、卒業生のみが参加でき、部外者は親族含め参加できないのですが、それを知った母は、「残念だ」と言っていました。僕にはそのひとことが、うれしくてたまらなかったのです。母は大学進学に反対していました。「あなたには大学は向いていない、職を見つけなさい」と。実際、大学は僕には全く向いていませんでした。何年も大学に通い、学費も自分で賄えず、親には迷惑をかけ続けました。「大学に行くのは時間と金の無駄遣いじゃないか」といわれたこともありましたし、実際、自分でもそう感じたこともありました。そんな状態で、しかも卒業後の就職先が決まっていないクズのような人間の卒業を、母は祝福したいと思っていてくれたのです。それを知って、僕は少し、救われたような気持ちがしたのです。

 

 昨年、留年することが確定したとき、ゼミの教授との面談で、大粒の涙を流したことを思います。今考えても、20を過ぎた男が大人の前でめそめそ泣いているというのは、なんともみっともないことだと思います。そのときの僕の精神は限界を迎えていて、「これまで親には迷惑ばかりかけてきていて、もうこれ以上迷惑はかけられない。そしてこれまでの親の貴重な時間とお金を無為にしてしまって、申し訳ない」という話をしました。それを聞いて教授は、「今はダメダメかもしれないけど、10年後、恩返しができていばいいじゃない」と慰めてくれました。このことばがなかったら、今の僕はなかったかもしれません。その点、教授には最大限の感謝を送りたいと思います。

 

 とにもかくにも卒業すれば、晴れて無職です。祝われて無職になるというのは、僕はたいへんな幸せものだと感じています。ただなにもしないまま、このまま生きていこうとは思っていません。10年後、精一杯の恩返しができるように、日々を大切に生きていこうと思います。頑張るぞ!